コロナ対策で、宝塚は大劇場公演の当日券をネットで事前販売しました。
宝塚ファンの中には「並んで当日券、はもう撤廃しよう」と考える方もいらっしゃるかもしれません。大劇場前に人がズラズラと並ぶ景観はイケてない、といった「合理的じゃないから」といった理由で。
しかし・・・私は、並んで当日券を買うシステムを継続して欲しいんです。その理由を述べてみます。
大劇場ズラズラ
不自由さが、学びや発見につながる
私はまだまだファン歴が浅いですが、それでも何度も「大劇場にズラズラ」しています。最初の頃は寒かったり、大劇場前の駐車場内トイレが開くまでモジモジしたり、コンビニが近くになくて不便だったり、まぁいろいろ、不自由さを感じました。
その不自由さも、数をこなすと学びや発見があるんです。どう防寒するかあれこれ考えたり、冬のズラズラの後の春のズラズラがいかに快適か感じたり、夏は意外に紫外線対策が大切である事に気づいたり。トイレもね、どうにも辛い時は離れたコンビニに行けばいい、両隣の人へ礼儀正しくお願いすれば大丈夫!って気付きました。
揶揄っぽい視線を受け、気付きがあった
ズラズラの光景が最初は珍妙に見え、中に入るのをためらう気持ちもありましたし、どうにか中に入っても、揶揄っぽさを隠さない視線を送ってくる通りすがりの人に恥ずかしさを感じたりしました。
これらも慣れてくると、珍妙どころか風物詩のように感じるようになったんですね。季節によって並ぶ人たちの様子が違うのが楽しくなってきたというか。
自分もそうゆう視線を送っていた
何といっても一番の気付きは、私自身も他人様に揶揄っぽい視線を送っていたという事です。「そういえば私もパチンコの前でズラズラしてるおっちゃん、おにーちゃん達にこうゆう視線を送っていたんだろうな」と気付いたんですよ。
私はパチンコをしないので並ぶ人達の気持ちはわかりません。ですが決して、パチンコズラズラーズをマジマジと眺めたりはしません。頑張ってるのは、変わらないですから。
ズラズラ、は楽しい事もある
でね、案外、大劇場前でズラズラするのって、楽しい事も多いんですよ。
エコなレジャーに
家族でヅカファンになれば、ズラズラは「エコノミーで楽しいレジャー」になる可能性があります。飲食物をしっかり持ち込めば並んでいる間お金がかからないですし、チケットを当日B席や立ち見にすればエコです。実際ね、天候や気候に問題がない日ってレジャーを楽しんでるような家族もいるんです。家族でリビングですごすような感覚で、大劇場前ですごしている家族。
友達同士でも、ペットボトルや持ち込んだお茶を飲みながらおしゃべりするのってエコです。さらに学生さんは大チャンス!宝塚には期間限定とはいえ当日券の学割がありますので。
読書や勉強が案外、はかどる
不思議なんですけどね、並んでいる時って案外、読書や勉強がはかどるんです。ひとりで自宅で読書や勉強をしても誘惑が多いけど、大劇場前で座り込んでいるとやれる事が限られるからかな。
スマホを見つめまくっている人も多いですが(特に若い人)、時間が長いので予備バッテリーが必要になります。
私としては日が昇るまではスマホを使うとしても、明るくなってからはアナログの本を読んだり、勉強したりするのがオススメです。実際勉強している人を見かけます。人生を左右するような試験の前ならダメですが、普通の定期テストなら、誘惑と戦いながら自宅でなんちゃって勉強しているより、並んでいる間とチケット購入後から観劇前まで本気で勉強して、観劇の3時間はめいいっぱい楽しんでもいいんじゃないかと本気で思ってます。
体力がつく
屋外ですごすんですからそれだけで体力がつきます。私は並びだした時、ただ大劇場前で座ってすごすだけなのにどうしてこうも疲れるんだろうってほどに疲れていました。もう、かつてほど疲れません。これって体力がついているって事ですよね。
メンタル強化も期待
なんせ待ち続けるんですから、忍耐力が鍛えられます。先に書いた通り数をこなすとあれこれ気づきがあるので認知症予防になるかもしれません。
チケットを買う時のワクワク
あとね、やっとチケットを買う事が出来るようになると、ワクワクするんですよ。果たしてS席やA席は残ってるかとか、残ってたらどこだろうとか。自分の順番が来た時にまだ選べる状態ならもう、トキメキが半端ないですよ。 立ち見だと1列目をゲット出来るか出来ないか、整理番号が気になってしかたありません。
もうね、予めチケットを手にしている時とは全然、違うんです。
人間の心は決して、合理的ではない
私は今回、「合理的=無駄がない」と捉えてこの記事を書いています。
アラフィー以上の日本人なら、かつての日本がバブル時代に「非・合理的」を極めまくった事をご存知だと思います。当時流行した服装やらメイクは無駄に派手で、当時建築された建物は無駄に華美だったりしました。今見るとちょっとこっ恥ずかしいくらいです。
その後めいいっぱい経済がダウンし、さらに災害や伝染病で苦しむ日本が、合理的モードになるのは当然かもしれません。バブル時代の恥を反省する、という意味があるかもしれません。
それでもね、やっぱり、人間は、合理的には、生きていられません。
それこそ、合理的!を追求すると、宝塚歌劇団の存在そのものが「非・合理的」ってなっちゃいます。
だから私は、コロナパニックが落ち着いたら、当日券は今まで通りのスタイルで販売してもらいたいです。
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